徒然閑写

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父の日、枇杷の日

娘から貰いました。

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撮影 coolpix S700 auto設定 クリック拡大1048ピクセル

6月の第3日曜日。
父の日。
地震のニュースで、ディスカバリーの星出さん帰還と共にちょっと忘れられた話題。


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《父の日のいわれ》
やはりアメリカ発信。

 すでに母の日が普及していた1909年アメリカで、ある女性が、教会で母の日の説教を聞きながら「父の日」もあるべきと考え、牧師協会に「父の日」をつくるよう嘆願しました。
 彼女と5人の兄は父親に男手ひとつで育てられました。南北戦争のさなか、軍人だった父に代わり、ひとりで家庭を支えてきた彼女らの母親は体を壊してしまいます。 1865年に南北戦争が終わり父親は帰ってきますが、とうとう6人の小さな子供たちを残して母親は亡くなってしまいます。そして残された父親と子供たちの苦難の日々は続きます。 今のような豊かなアメリカではありませんでしたので、父親はあらゆる犠牲を払い、生涯独身で働き続け、必死で子供達を育てたのでした。 「父の日」を牧師協会に嘆願した女性は、彼の一番末の娘だったのです。

 7年後の1916年には「父の日」が広く認知されるようになりました。その後1934年に父の日委員会が結成され、母の日にならって6月の第3日曜を父の日に制定。アメリカで母の日を祝うようになってから半世紀以上かかりましたが、ようやく1972年にリチャード・ニクソン大統領によって正式な国民の祝日となりました。

日本で一般的な行事になったのは昭和28年(1953年)から。だって。


父では無いのですが、妻からも財布を貰いました。



父の日のシンボルは母の日の赤いカーネーションに対して、黄色いバラ。

これは、始めて父の日を祝った日、アメリカのソノラ・スマート・ドットさんと言う人が亡き父親の墓前に白い「バラ」を手向けたことと、黄色いリボンから由来されたとの事。
黄色は昔イギリスで「身を守る色」で、アメリカでは開拓時代に「黄色いリボン」を身に付けるのが流行。大切な人の無事を祈るとの意味で父の日のシンボルと なった黄色いリボン。幸福や希望の色でもある(日本では幸せの黄色いハンカチだったりして!?)。

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父に関する名言で興味深いものを二つ。

『父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい。』
<ウィルヘルム・ブッシュ(ドイツの漫画の始祖)>

『お父さんとは、おもちゃを直す人、男の子達のリーダー、
ヒューズを取り替える人、けがを直す人、
ソファーを動かす人、痛みをいやす人、
網戸を張る人、ティーンエージャーの相談役、
クギを打つ人、話をしてくれる人、
食器を乾かす人、望みをかなえてくれる人、
主よ、お父さんに祝福がありますように』
<ジョー・アン・ハイドブレダー>


イギリスのことわざ
『ひとりの父親は、百人の教師に勝る。』
いかにもイギリスらしい。

う〜ん、イタリアではあり得ないことわざですね。





これ、
我が家の庭の枇杷です。


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撮影 coolpix S700 auto設定 クリック拡大1048ピクセル

大きい奴が酸味が結構有って、青みの有る小さいのが一番甘かった。見た目ではなかなか分からない。
が、酸味の有るやつの方が好きに成りました。結構、リンゴの味に近くフレッシュな感じ。枇杷はリンゴと同じバラ科の植物なのです。酸味はクエン酸の様です。

スーパーで箱入りで売っているものでは無い味。穫った直後に食べるのが一番良い。
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by uncle-mac | 2008-06-15 11:17 | 写真日記
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